「屍者の帝国」を見てきた。原作を読んでいる身としてはちょっと残念だなと思う映画だった。多分原作を見ないで映画を見た方が楽しめる。
書きたいことはいっぱいあるがとりあえず気になった点をざっと書いてみる。
以下ネタバレと感想。
- ワトソンについて
- ヴァン・ヘルシング卿の不在
- アレクセイ・カラマーゾフとニコライ・クラソートキン
- Mの死と最後のシャーロックホームズ
- ザ・ワンの花嫁の作られ方
- 最後に
- Project Ito の感想記事
ワトソンについて
映画オリジナルの要素としてフライデーがワトソンの友人という設定がある。ワトソンはフライデーの魂を元に戻すことが旅の目的となっている。原作ではワトソンはあくまでグレートゲームのコマとして淡々と役割を果たしていく。はじめは大きな目的はなく、任務の課程で魂とは何か屍者とは何かという疑問を探求していく。
ワトソンに旅の目的があるのは物語をすすめていくのに必要なのでよい脚色だと思う。フライデーもよいキャラクターになっていたと思う。個人的には淡々とすすめていくのも好きだが、それだとアニメ映画としてはちょっと面白みに欠けるかも知れない。
ただワトソンがフライデーの魂を元に戻すことに固執しすぎていて、その影響なのか知らないけどワトソンに周りの登場人物が干渉しすぎているのが気になる。特にバーナビーがワトソンを叱責したりするシーンがあるのだが、バーナビーってそんなキャラじゃなかった気がする。もっと自分本位でこの任務も自分が楽しいからやっているだけであってワトソン自身に興味はなかったはず。ワトソンの暴走を止める必要があるためバーナビーが必要になってしまい、その影響でバーナビーのめちゃくちゃさがなくなってしまっている。個人的には残念なポイントだった。
ヴァン・ヘルシング卿の不在
ヴァン・ヘルシングがばっさりとカットされているのが残念。屍者の帝国のラストでヴァン・ヘルシングとザ・ワンが邂逅し対決する描写があるのだが、そこら辺もばっさりとやられている。映画ではMがザ・ワンを利用し、最終的にザ・ワンがMを利用する側に周り自らの花嫁を復活させるシーンになっている。
ヴァン・ヘルシング必要ないと言えば必要ないのかも知れない、かつてザ・ワンを追い詰め賭けをするという話は映画中で一切出てこない。出てこないあたりも決行もにょるが、思い切って出さないのであればヴァン・ヘルシングは不在でもまぁいいと言えば良い。
でもヴァン・ヘルシングだぞ。何故こんなキャッチーな人物を出さないのか。化物ばかり出てくるこの物語に化物退治の専門家を出さないのは面白みに欠ける。物語上確かに必要ない。だいたいのことはMがやってくれているから(これもおかしい話だが)いいのかもしれない。でもヴァン・ヘルシングがでないと本当に味気ない。
むしろMの役割はヴァン・ヘルシングが担うべき役割だろう。でも最後のザ・ワンを利用するあたりを考えるとこの役割はヴァン・ヘルシングではちょっとおかしい。Mを使ったのは苦肉の策だったのかも知れないとぼんやり思った。
アレクセイ・カラマーゾフとニコライ・クラソートキン
アレクセイとニコライのあたりは、カラマーゾフの兄弟という話が一切ふれられていないあたりが気になった。生きながら屍者化されたドミートリー・カラマーゾフはアレクセイが私の兄としか言わないのが妙にあっさりしているし。
そもそもアレクセイとニコライの目的が映画と小説で全く異なっていた。映画版ではアレクセイはザ・ワンの再現を求めて実験を繰り返したマッドサイエンティスト(ドミートリーも実験台にしているという恐ろしさ)になっている。ここまで大きく変えると思い切ったモノだ。その結果アレクセイとニコライは自らを屍者化するという暴挙に出て小説とは違ったアフガニスタン編の終わりを見せる。なんともなぁ。
この辺はアレクセイとニコライが命を狙われてその結果屍者化するという何とも逃げの一手で、小説にあったようなヴィクターの手記の立証や帝國への反逆という先に進むような感じがなくてとても残念だった。
それとだいたいこのあたりは闇の奥のオマージュなんだから、もうちょっとワトソンはアレクセイという人物について考察するという描写を入れてもよかったのではないだろうか。まぁ話の本筋でないから良いのだろうけど。この辺も味気なさを出している。
Mの死と最後のシャーロックホームズ
最後にMをザ・ワンが殺害するのだが、シャーロック・ホームズという作品で必要なMを別の作品とはいえ殺してしまうのはどうかと思った。べつにシャーロック・ホームズの話ではないし良いという意見もあるだろうけど、ワトソンがでている、映画の最後でシャーロック・ホームズが出ているときたら、このあと続くシャーロック・ホームズをどうしても考えてしまう。そこにMがいないとは・・・。
Mが全人類の屍者化を企むあたりがおかしい。全人類の屍者化はアレクセイ・カラマーゾフの師であるニコライ・フョードルがその膨大な思想の上で悲願としたもので、劇場のMだとただ単に争い合う人類を独善的に屍者化しようとしている。どうして全人類を屍者化する必要があったかの考えが薄く見えてしまった。
ザ・ワンの花嫁の作られ方
ザ・ワンの花嫁の作られ方が原作では肋骨から出現し徐々に肉体が形作られていくというモノだったが、映画ではハダリーを母体にして再現しようとしている。
空間から出現し、徐々に形作られていくというアニメにしかできないようなシーンを最後に期待したのだが、最終的には透明な液体の中にハダリーがいて、それが花嫁に取って代わるというような割と安易な表現になっていた。いろいろ難しくて断念したのかなと何となく思ってしまう。
まぁ、映画中では別にザ・ワンの花嫁がどうできたかのいきさつは描かれていなかったので不要なシーンかとも思うけど、同アニメーションで表現してくれるのか楽しみにしていただけに残念だった。
最後に
いろいろ不満は残るモノの、きっと小説を読まないで見た方がおもしろく鑑賞できたのではないだろうか。ヴァン・ヘルシングやレット・バトラー不在はちょっと残念だが、膨大な登場人物を考えるとしょうがない。
映像化されたことにより、フランケンウォークとかカイバル峠の戦いのシーンが見れたのはとてもよかった。特にフランケンウォークと新型屍者の動きの違いがわかりやすくなっていたのがおもしろかった。霊素書き込みのシーンもスチームパンクらしく機械がガチャガチャ鳴っている映像が出てきたので、どうしても想像しづらいスチームパンクの蒸気や機械のグロテスクな動きが見れたのはとてもよかったと思う。
原作を先に読んでしまったからこそ期待していて、それ故に勝手に期待外れだったことを嘆いて思わず文句を書いてしまったけど、アニメ映画単体としてはかなりよくできていて楽しめるものだったと思う。屍者の動きやカイバル峠のシーンは本当によかったと思う。
Project Itohは第一弾が終わったばかりなので続く第二弾・第三弾がこれから楽しみだ。それにしても「虐殺器官」のほうは大丈夫なのだろうか?ハーモニーを先にやってしまうあたり苦渋の決断だったとは思うものの、虐殺器官→ハーモニーではないとちょっと成り立たないのではないかと思うのだがどうなのだろうか?こればかりはどうにもならない問題なだけに残念だが、公開だけはしていただきたいものだ。
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