毎年恒例のスキー合宿
週末は毎年恒例のスキー合宿に行った。これは前前職の友人が中心になって行ってくれているもので、毎年この時期にスキー場近くのホテルに一泊し1日じゅう滑る恒例行事になっている。自分はスキーもスノボもそんなにうまくないが、1シーズン1回とはいえここ3年毎年行っているので段々とうまくなってきている気がする(とはいえやっと下手な状態で滑れているという感じらしい)。
今年は山形の蔵王に2泊した。噂の樹氷も見れてなかなか良かった。
雪山というのはこの世のものとは思えない絶景を見せてくれる。こういうのを見たくて雪山に登るというのもとても理解できる。自分は雪山にはスキー以外で訪れるのは難しいがいずれ挑戦できたらいいなと思っている。その前に登山に耐える体力をつけないといけないのが最大の難関だと思う。スキーはいうても登山よりハードではない。
今回行ってみて思ったのは、やはり靴なり板なりは持っていたほうがいいということ。特に靴。靴は足とのフィット感に問題があると日を追うごとに辛くなってくる。しばらく滑るとなれるのだが、滑りはじめの朝とかは拷問なんじゃないかと思うぐらい辛い。なので次の参加では靴は用意しておこうかと思っている。板も買いたくなるが、置き場的におそらく厳しい。靴ぐらいならおそらくしれっと買っても怒られないだろうなと思ったりもする。
アンラーニングすること
最近仕事でアンラーニングの必要性を感じてそれに関する本などを読んでみたりしている。
というのも、今の職場で自分はテクニカルサポートエンジニアということをしているのだが、今までのデベロッパーとしての働き方やマインドでは苦しいばかりで成果も出せないと感じ始めたからだ。アンラーンは変化に対応するためにも有用な手段らしい。となるとデベロッパーからサポートへ転じてしまった自分にはおそらく有効である。
アンラーンするといっても今まで自分のやってきたことは消えないし、培ってきたものや技術を忘れるということではない。要は今までの経験が足かせになっているなら、一旦それを忘れてみようというのがポイントのようであった。自分も一旦自分のやってきたベストプラクティスだと思っていることを一旦脇においてみようと考え始めたところ、少し気が楽になった。まだ時折デベロッパーであって時の気持ちが戻ってきて不必要に苛立ちを感じることがあるけど、そこはやはり修行だと思う。
思えばアドラーを読んでいたとき、変わりたいのに変われないのは変わりたくないからであると書かれていて、変わりたくない気持ちをどうやって克服すればいいのだろうかと疑問に思っていたけど、アンラーンの手法はおそらくここで役に立つ気がし始めた。アドラーでは変わることは自殺に近いから変わるのはすごく難しいと言うようなことが書かれていたけど、アンラーンの本に従うのであれば自殺ほど強烈な変化ではない。思考の癖や今までの慣れは一旦忘れるが、自分の中心点は変える必要がない。厳密なアドラー的な自分の変え方とは違うけど、これも一つの解なんじゃないかと思っている。
異国日記というじんわりとくる漫画
最近ヤマシタトモコの「異国日記」という漫画を読んでいる。
話の内容としては、事故で両親を目の前でなくした娘の「朝」と、娘の母の妹である叔母の「槙生」の普通とは違う共同生活が描かれ。生活の中で両親の死に向き合ったり、家族の呪縛を振り払ったり、人と人との関わりの中での矛盾について考えたりと、家族や人との関わりについて朝も槙生も、周りの友人たちも織り交ぜながらそれぞれの答えを見つけていく。そんな感じの漫画でとにかく人生に思いを馳せさせてくれる。
これがまた良い漫画で、心理描写とかがとても良い。過去の発言を掘り起こして現在のテーマと重ね合わせたりする手法が独特で、過去に言われたり言ったりした言葉が、現在になって意味を持ってきたりするのがなんとも人生を感じさせてグッと来る。必ずしも明確な答えが得られるわけではないが、そういった言葉に出来ない言葉にすると何かが失われるような、そんな成分が得られる漫画であった。
Kindle Unlimitedで2巻まで無料で読めたので読んでしまったが、読み終わると同時に続巻を次々と買ってしまい。現在出ているものは全て読んでしまった。ちなみに次の巻は2/8発売なので明後日がとても楽しみである。
個人的には毎年刊行を楽しみにしているふらいんぐうぃっちに次ぐマイベストコミックのうちの一つになった。